情けなか、前川勝彦
2007年 01月 07日
Excite エキサイト : スポーツニュース
多分長くなります。
ほんとなら、東海大仰星、優勝おめでとうとか書くとこなのに。
残念と言うか、せっかく期待してたのに、何てことでしょう。
正直かなりショックです。
もう何年も、無免許運転してたなんて、最悪でさあね。
今思えば、彼が高校時代に見せていた物が、
私はやんちゃ坊主として、いいと思っていたのだが、
彼の精神的な脆さをあらわしていてのかもしれない。
彼はご存知でしょうが、PL学園のエースであり、福留の後を受けた4番打者でもありました。
めったにエースと4番を一人に任せないPLの歴史の中で、数少ないエースで4番。
昨年の選抜で、前田がエースで4番だったが、残念ながらこの前田のエースで4番は
他にいなかったってのが理由としてある。
PL自体がかつての力が無かったわけだ。
でも、前川の場合は、平成のPL黄金時代に突入していた。
ソフトバンクの荒金らがメンバーにもいたわけだ。
彼は、平成6年の春と夏、平成7年の夏に甲子園に出ている。
平成6年はあの、阪神大震災の年。選抜その物が中止になるのではと思われていたが、
開催にこぎつけた。
当時のPL学園は、秋の近畿大会を制覇し、西の横綱として、優勝候補の筆頭に
あげられていた。
前川はその時は控えの投手。しかし、強力打線が売りだったPLは
投手が若干弱いと言われていた。
二年生ながら、大型の左腕として、鍵を握っているのではないかと思われていた。
選抜の初戦の相手は、千葉の銚子商。
東の横綱ではなかったが、優勝候補には挙がっていた。
試合の注目はPLの主砲、現中日ドラゴンズの中心選手であり、
昨年のセリーグMVP福留孝介と、銚子商の主砲沢井良輔(元千葉ロッテ)の対決だった。
打ち合いとなった試合は共にエースがノックアウトされ、7-7のまま
PLのマウンドには前川が上がっていた。
PLは銚子商の2番手投手を打ちあぐんでいたが、延長に突入し、とうとう、PL前川は
捕えられ、結局はPLが10-7で初戦敗退となった。
前川が打たれる・・・・これは続く夏の大会でも見られた。
思い速球、大きく割れるカーブと大型左腕と期待された。
が、結局この頃すでに彼の甘さと脆さと精神的な弱さが垣間見えていたのだろう。
福留の活躍や、エース前田が踏ん張り、PLは夏は3回戦まで勝っていた。
その3回戦、相手は神奈川の日大藤沢。
初出場とはいえ、激戦区神奈川を制し、この前の試合では、
選抜優勝の観音寺中央を下しての3回戦進出だった。
この試合で前川は先発したが、初回に先制され、その後も不安定。
3回をなげ、打者12人に対し、1安打だが、3四死球。
結局4回から別の投手に交代となった。
打線が奮起して、何とか10-5で勝利となったが、打線は水物。
続く、準々決勝の智弁学園戦は1回と3分の0でノックアウト。
野手のエラーなどが会ったが、自身のエラーも重なり、2回までに6失点。
一旦は打線が追いついて見せたが、最後は2点を追加されのそのまま押しきられた。
このときはまだ二年生。先輩の手前もあっただろう。
ところが、3年になりエースで4番の前川はもはや誰も止めるものはいないとばかり。
やんちゃ坊主と言えばいいが、投手としてはかなり失格な行動を連発。
エラーをすればあからさまに嫌な顔。ピンチになればまたまた、あからさまに嫌な顔。
嫌な顔、嫌な顔。とにかく終盤になればしんどい顔連発。審判に判定に不満気な顔。
しまいにゃマウンド蹴っちまう。
成績にも現れていた。
夏の予選、初戦から、5回戦まではまさに完璧。
2回戦からの登場だったが、初戦は5失点、残る3試合で失点わずか1点。
ちょっと劣るチームとはいえ抜群だった。
ところが、準々決勝の北陽、準決勝の大阪桐蔭、決勝の上宮とこの時代の大阪の
上位校と当たりだすととたんにぼろぼろ。
強豪だけに嫌な攻めをし、食らいつく相手に不満たらたら、だるいと言う表情だし、
けっか、3試合で、なんと失点、17点。一試合平均6点近く取られる有様。
よくもまあ、甲子園に出れたものだ。奇跡的な粘りを打線が見せて、大逆転や、
打者前川の活躍でなんとか、出たとはいえ、決勝の上宮などは完全に力は上に見えた。
大阪大会7試合で失点23点は決していい数字ではなかった。
それでも大会屈指の左腕として注目された。
現に一回戦は3案だ12脱三振の完封。
二回戦も、15脱三振、見方が11点取っていたが、破綻もみえていた。
7点リードしながら、ランナー出たとたん突然みだれ、3失点。
大阪大会同様、型にはまれば鬼のようなピッチングをするが、一反打たれだすと
止まらなくなる、これは直らなかった。
そして、3回戦、広島野球の高揚東にしてやられる。
この試合も、15安打のPLが、7安打、14三振の高揚東に敗れた。
打たれるとかっとなる性格を漬け込まれ効率よく得点された。
プロになっても、これは変わらない。
はまれば快投、一反乱れると止まらない。
近鉄は優勝した年、エースとして12勝あげるも、防御率は5点台。
ちなみに普通は2点台ぐらいでエースといわれる。
結局、これは彼の甘さと、精神的脆さを見せていたのかも知れない。
まだ、首になってないが、・・・・・・・・・人として問題がありすぎる。
「球道即人道」はPL中村監督の言葉だ。
どうやら、彼の心にこの言葉は響かなかったようですな。
中村さんも悔しいんだろうな。
PLのその後の不祥事もここでもって考えちゃうよ。
ちくしょぉぉぉぉぉぉ。
多分長くなります。
ほんとなら、東海大仰星、優勝おめでとうとか書くとこなのに。
残念と言うか、せっかく期待してたのに、何てことでしょう。
正直かなりショックです。
もう何年も、無免許運転してたなんて、最悪でさあね。
今思えば、彼が高校時代に見せていた物が、
私はやんちゃ坊主として、いいと思っていたのだが、
彼の精神的な脆さをあらわしていてのかもしれない。
彼はご存知でしょうが、PL学園のエースであり、福留の後を受けた4番打者でもありました。
めったにエースと4番を一人に任せないPLの歴史の中で、数少ないエースで4番。
昨年の選抜で、前田がエースで4番だったが、残念ながらこの前田のエースで4番は
他にいなかったってのが理由としてある。
PL自体がかつての力が無かったわけだ。
でも、前川の場合は、平成のPL黄金時代に突入していた。
ソフトバンクの荒金らがメンバーにもいたわけだ。
彼は、平成6年の春と夏、平成7年の夏に甲子園に出ている。
平成6年はあの、阪神大震災の年。選抜その物が中止になるのではと思われていたが、
開催にこぎつけた。
当時のPL学園は、秋の近畿大会を制覇し、西の横綱として、優勝候補の筆頭に
あげられていた。
前川はその時は控えの投手。しかし、強力打線が売りだったPLは
投手が若干弱いと言われていた。
二年生ながら、大型の左腕として、鍵を握っているのではないかと思われていた。
選抜の初戦の相手は、千葉の銚子商。
東の横綱ではなかったが、優勝候補には挙がっていた。
試合の注目はPLの主砲、現中日ドラゴンズの中心選手であり、
昨年のセリーグMVP福留孝介と、銚子商の主砲沢井良輔(元千葉ロッテ)の対決だった。
打ち合いとなった試合は共にエースがノックアウトされ、7-7のまま
PLのマウンドには前川が上がっていた。
PLは銚子商の2番手投手を打ちあぐんでいたが、延長に突入し、とうとう、PL前川は
捕えられ、結局はPLが10-7で初戦敗退となった。
前川が打たれる・・・・これは続く夏の大会でも見られた。
思い速球、大きく割れるカーブと大型左腕と期待された。
が、結局この頃すでに彼の甘さと脆さと精神的な弱さが垣間見えていたのだろう。
福留の活躍や、エース前田が踏ん張り、PLは夏は3回戦まで勝っていた。
その3回戦、相手は神奈川の日大藤沢。
初出場とはいえ、激戦区神奈川を制し、この前の試合では、
選抜優勝の観音寺中央を下しての3回戦進出だった。
この試合で前川は先発したが、初回に先制され、その後も不安定。
3回をなげ、打者12人に対し、1安打だが、3四死球。
結局4回から別の投手に交代となった。
打線が奮起して、何とか10-5で勝利となったが、打線は水物。
続く、準々決勝の智弁学園戦は1回と3分の0でノックアウト。
野手のエラーなどが会ったが、自身のエラーも重なり、2回までに6失点。
一旦は打線が追いついて見せたが、最後は2点を追加されのそのまま押しきられた。
このときはまだ二年生。先輩の手前もあっただろう。
ところが、3年になりエースで4番の前川はもはや誰も止めるものはいないとばかり。
やんちゃ坊主と言えばいいが、投手としてはかなり失格な行動を連発。
エラーをすればあからさまに嫌な顔。ピンチになればまたまた、あからさまに嫌な顔。
嫌な顔、嫌な顔。とにかく終盤になればしんどい顔連発。審判に判定に不満気な顔。
しまいにゃマウンド蹴っちまう。
成績にも現れていた。
夏の予選、初戦から、5回戦まではまさに完璧。
2回戦からの登場だったが、初戦は5失点、残る3試合で失点わずか1点。
ちょっと劣るチームとはいえ抜群だった。
ところが、準々決勝の北陽、準決勝の大阪桐蔭、決勝の上宮とこの時代の大阪の
上位校と当たりだすととたんにぼろぼろ。
強豪だけに嫌な攻めをし、食らいつく相手に不満たらたら、だるいと言う表情だし、
けっか、3試合で、なんと失点、17点。一試合平均6点近く取られる有様。
よくもまあ、甲子園に出れたものだ。奇跡的な粘りを打線が見せて、大逆転や、
打者前川の活躍でなんとか、出たとはいえ、決勝の上宮などは完全に力は上に見えた。
大阪大会7試合で失点23点は決していい数字ではなかった。
それでも大会屈指の左腕として注目された。
現に一回戦は3案だ12脱三振の完封。
二回戦も、15脱三振、見方が11点取っていたが、破綻もみえていた。
7点リードしながら、ランナー出たとたん突然みだれ、3失点。
大阪大会同様、型にはまれば鬼のようなピッチングをするが、一反打たれだすと
止まらなくなる、これは直らなかった。
そして、3回戦、広島野球の高揚東にしてやられる。
この試合も、15安打のPLが、7安打、14三振の高揚東に敗れた。
打たれるとかっとなる性格を漬け込まれ効率よく得点された。
プロになっても、これは変わらない。
はまれば快投、一反乱れると止まらない。
近鉄は優勝した年、エースとして12勝あげるも、防御率は5点台。
ちなみに普通は2点台ぐらいでエースといわれる。
結局、これは彼の甘さと、精神的脆さを見せていたのかも知れない。
まだ、首になってないが、・・・・・・・・・人として問題がありすぎる。
「球道即人道」はPL中村監督の言葉だ。
どうやら、彼の心にこの言葉は響かなかったようですな。
中村さんも悔しいんだろうな。
PLのその後の不祥事もここでもって考えちゃうよ。
ちくしょぉぉぉぉぉぉ。
by maradoona10
| 2007-01-07 22:40
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